南三陸町で金比羅丸・髙橋直哉さんとの出逢い

2012年秋、津波被害により多くの家族写真が失われた東北で家族写真家として創業するべく、単身、南三陸町に移住した私。いろんな人が応援して下さって、無事、移住できたはいいが、さて、住民票をどうしよう…。と悩んでいました。当時、本気で宮城県南三陸町で一生を終える覚悟で移住したので、クルマも宮城ナンバーにすると決めていました。

ある日、町の会合で知りあった漁師さんにボソッとその愚痴をこぼしたら「ウチの住所使えばいいっすよ!」という、謎の合いの手が。

え?

そんなノリで住所って借りられましたっけ???

………という謎が謎を呼ぶ展開。そして、その漁師さんが髙橋直哉さんで、船の名が「金比羅丸」

「東北で、なんで『金比羅丸』なんて名前をつけてるんですか? 金比羅さんって香川県じゃないですか」

「うちのご先祖様が歌津から歩いて金比羅詣りして、船の名を頂戴したんですよ!」

………宮城から? 南三陸の歌津から?? 徒歩???!!

人生で初めてご先祖様の「御陰」を直感する(?)

実は、私の父方の実家というのは岡山県の児島にある下津井半島で漁師を営んでおりまして、しかも、金比羅詣りするお客さんというのは基本、下津井から船で讃岐に渡るのが王道のルートなんですね。

しかも、私の父の生家というのは、下津井港に至る大通り沿いに自宅を構えておりまして。そうでなければ、下手をすると賊とか出てくるかもしれないような、物騒な山道を単身、行かなければならなかったはずなんです。今でもほとんど家がなくて、鷲羽山ハイランドがあるだけなのに(笑)、金比羅詣でをするような旅人が普通、そんなルートをとることは考えづらい。

四国で有名な「お遍路」というのは、地域の人たちが霊場巡りをするお遍路さん達に宿やらご飯やらお茶やら差し入れをするのが一種の徳とされているんですが。

もしかしたら、私のご先祖様がかつて直哉さんのご先祖様に何か、そういうご奉公みたいなことをしていて、もしかしたら、それが何世代か後に、こういう形で私にご恩が返ってきたのではないか、という考えがよぎりました。

私はその瞬間、正直生まれて初めて「これがもしや、ご先祖様の御陰というやつなのか?」と宗教心と畏怖心を感じました。

無事に南三陸町民となり、なぜか高橋家の一員に?

そして、私はなぜか、直哉さんのお父様の許可もいただいて、ご住所をお借りすることになり、クルマも無事、宮城ナンバーを手に入れることが出来たのです。

直哉さんのお父様からは冗談半分で「これでもう、ハマノさんはウチの家のひとだからよ!(笑)」と仰って頂いたことが今も忘れられません。そしてその御礼に、私からは家族写真の撮影をお贈りさせていただきました。そのときの様子は、NHKで移住者特集のドキュメンタリーで放送されたりもしました。

そしてまた、経済的に瀕死の重傷を負っていたとき(苦笑)、ホームページ用の写真撮影やパンフレット制作のお仕事を頂いたりして、なんとか生き延びることができました。

もはや、私にとっては直哉さんのお子さんたちも他人とは思えず。誠に勝手ながら、ちょっと遠い親戚のおっちゃんみたいな気分です。当時、私はすでに住居の都合で仙台へと移転していましたが、2014年春、直哉さんの長女さくちゃんに入学式の記念写真をお贈りしたのでした。

南三陸・金比羅丸のワカメとホタテをよろしくね

というわけで、今日はなんか、私の撮影の宣伝というよりも、むしろ南三陸「金比羅丸」の宣伝をして終わります。毎年2〜3月は、ワカメがめちゃくちゃ美味しいです! そんじょそこらのワカメと違って、茎が柔らかくて葉も分厚くて歯ごたえ満点。ワカメのしゃぶしゃぶは病みつきになりますよ〜。大絶賛、オススメいたします。

また、南三陸へ行きたいな〜。会いたい人がいっぱいいるから…。

2014年4月。震災後、ずっと分校扱いだった名足小学校がようやくもとの校舎で再開されることになり、初めての入学式でした。