「家族写真家・濱野丞助としての心得」

岡山県倉敷市児島大畠を出身とする濱野本家は、かつて下津井四か浦で一番の網元と称えられたが、高祖母・濱野初の教えがもし、正しければ、藤堂高虎の血をひく誇り高き一族である。

そして唯一、私の父・濱野正弘とその家族が家祖・高虎生誕の数百年ののち、故郷の近江に戻り、長男・浩行は商売人、経営者としての教育を叩き込まれ、本家廃業に逆行するかのように独立起業し、新米の近江商人として東北へ3年間の修行に出た。

そこで家族写真家ハマノヒロユキとして濱野の名を世に広く知らしめ、故郷の滋賀に戻ってからは濱野家の歴史と謎を解き明かし、新たなる濱野家を興すことを決意した。

濱野家の由緒ある伝統は「助」の字にこそ宿っている。まわりの人々を助ける、大勢の助けになる、か弱き者の味方になる、それこそが濱野家一族の天命であり、生きる使命である。

その天命を全うするとき、真の仲間が家族のように集い、新たな事業を興す原動力となっていく。そうやって古来、数百年にわたって、濱野家は存続、繁栄してきた。

また、祖先の名に込められた想いを大切にし、我が子にそれを継ぐ、という習わしもあった。同時に、子々孫々に恥じない生き方をする、という決意と覚悟も持ち合わせていた。これは、数百年にわたり、家督と商売を維持し続ける近江商人の真髄に通ずるものである。

以上、濱野総本家の正統なる後継者として、浜野浩行は、子に「助」の名を冠する伝統を二代にわたって怠った反省から「助を丞ぐ者」として、公に「濱野丞助」と名乗ることとした。今後、真の近江商人として事業を興す。

私は初代「濱野丞助」の名のもと、世界中の家族を助ける事業を展開し、同時に、濱野家の復興をはかる。

もし仮に、藤堂高虎の血筋とは無関係であったとしても、この志に変わりはない。

2018年11月26日、濱野丞助記す。