EN-LIGHTENMENTは東日本大震災を機に生まれました


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2011年3月11日、東日本大震災が起こりました。

ぼくは、名古屋の結婚式場の写真室で働いていました。

これまで経験したことのないタイプの揺れに
「これは大変なことが起きているぞ…」と思い、
報道での最新情報に愕然としました…。

1995年の阪神大震災、ぼくは何もできませんでした。
関西に住んでいたのに……。

そこで初めて「悔しい」という気持ちが湧きました。
不思議なことに、阪神大震災で何も出来なくて悔しかった、
そういう感情が湧き上がってきました。

最悪、会社を辞めてでも東北へ絶対行こう、
そう決意をしました。

幸いなことに、勤務先で全費用を負担して研修扱いで
東北のボランティア活動に社員を派遣すると知り、
いち早く、そのリーダーに立候補しました。

同年6月、仙台から石巻、南三陸、女川を視察し、
3ヶ月後とは思えない惨状を目の当たりにしました。

結果的に、6月末から約1ヶ月半ほど
仙台と南三陸に滞在するなかで
失われたものの大きさを考えました。

同時に、まったく何の縁もなかった東北の
美しさとか、おもしろさも感じていました。

そして8月13日、花火大会が行われました。

南三陸子ども夢花火」です。

(くわしくはリンク先をご覧ください)

「被災して売るモノは何もないので、町外の人たちに
花火を買ってもらって、それを南三陸で打ち上げる」

「100年後の子どもたちに伝えたい想い出をつくる」

という、ものすごい企画です。

南三陸子ども夢花火2011

ぼくはどうしてもこの撮影ボランティアをしたくて、
会社のボランティア派遣滞在は終わってましたが、
自費で名古屋から出掛けていって撮影しました。

「100年後の未来で、大切にされる仕事をする」

それがぼくの目指す「在り方」だからです。

こうして南三陸町と関わりを深めていくうちに
さまざまなことを考えるようになりました。

「このまま、津波で大切な想い出を失ったまま
子どもたちが育って、大きくなってしまったら
きっとぼくみたいな想いをする人が増えるだろうな」

ぼくは父を病気で亡くしたときに
あまりにも写真がなくて愕然としました。

家族全員そろっている想い出の写真、
そのかけがえのなさに気づかされたのです。

起きてしまったことは変えられない、
だが、これからの未来を変えることはできる、
そう考えて、移住を検討し始めていました。

その後も2012年春、夏と南三陸を訪れるうちに
なんとか移住して、ここで家族写真にとりくもう、
そう考えるようになっていました。

幸いなことに、住まいのアテが見つかり、
とんとん拍子に移住計画が形になりました。

このタイミングを逃したら、一生後悔する!

単純に、その直感だけが頼りでした。

そして2012年9月末、南三陸町入りを果たして
11月、南三陸町民になると同時に独立しました。

家族写真家ハマノヒロユキは、
震災後の南三陸町で誕生しました。

独立時の屋号を“EN-LIGHTENMENT”として………

“EN-LIGHTENMENT”とはなんぞや?