東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!

急遽オーガナイズされた東北地方太平洋沖地震のチャリティマッチ。ブライダル業界はハイシーズンだったが、万難を排して大阪の長居スタジアムへ駆けつけた。

ベガルタ仙台のサポーターがチャリティマッチに集まってきたサポーター達へ御礼と、この試合のために”Twisted”というベガルタ仙台の定番チャントの替え歌を歌ってくれ、とみんなに呼びかけていた。スタジアムのみんなで何度も何度も歌った。

いざゆけ ニッポン
Go! ゆくぞ ニッポン
俺たちとともに Ready GO!!

スタジアムにはベガルタの横断幕が掲げられていた。仙台のサポーターがわざわざ届けてくれたのだろう。もしかしたら、本当に仙台から持ってきたのかもしれない。

後半、カズがゴールを決めてヒーローになった。

私は大学時代に阪神淡路大震災を経験した。ちょうど後期試験の真っ只中で、朝3時まで勉強して軽く仮眠をとっている最中にそれは起きた。枕元の天井まである本棚が倒れてきたら死ぬかな…?と思いながら目が覚めた。実家のある地域は震度3だったが、にしては強く大きいものだった。

試験当日だったので起きて居間に降りてテレビを見ると、神戸の街が破壊しつくされていた。思わず、北朝鮮がミサイルでも撃ち込んで攻めてきたのか? と思ったが、そうではなかった。

自分も含め、当時の多くの関西人は「東京と比べて関西は地震がないから安全やなぁ」とタカを括っていた。慢心していて、まさに寝耳に水だった。

ところで、試験はどうなるのだろう。大学には神戸方面からも多くの学生が通っている。そもそも今日、大学で試験はあるのか? JRは普通に動いているんだろうか? 当時はまだインターネットの普及が始まるちょっと前、テレビとラジオだけが貴重な速報を発信する時代だから、細かくカスタマイズされた情報は手に入らない。何も情報がなく、いつもどおり大学へ通うしかなかった。

ただちに大学内のさまざまな団体から有志が集まり、学内を横断するボランティア団体が立ち上がった。自分の所属していた大学生協学生委員会の主だった面々も加わり、本来なら自分も参加するところだったが、就職活動に向けてダブルスクールの予定が決まっていて(自分のバイト代で稼いで払った学費だ)、家庭の事情その他諸々から安易に留年するわけにもいかない。

ようやく様々が落ち着いてから(もちろん1995年中)「ボランティアに行きたいんだが」とボランティア団体の友人に尋ねると「もう、人が余っているから要らない」と断られてしまった。以来、ずっとモヤモヤが心のうちに溜まっていた。

あのときの悔しさを晴らすのは今しかない。最悪、会社を辞めてでも、絶対に東北へボランティアに行こうと固く心に誓った。